できない人ほど「やっている」と言う

2018.11.19 Monday

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    NHKの番組「チコちゃんに叱られる」が面白い。5歳の女の子という設定のキャラクターが、素朴な疑問に対して答えられない大人に対して「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」と、顔を真っ赤にして頭から湯気を出しながら、激しい剣幕で大人を叱るという娯楽番組です。現代では「ボーッと生きてる」ように見える大人ばかりに思えてなりません。智を得ず無関心なので、世の中で起きてるおかしな事を本当に正しく理解できていない人が大多数の世の中です。「アーチェリーのことはわからない」と言うのではなく、自分が取り組むスポーツを正しく学ばなければ、その取り組みにかけたお金と時間のすべてがムダになってしまうのです。

     

    ■本気を出す?

     

    取り組み結果を出すという事は、勉強・仕事・スポーツ、これらすべてに通じる共通の事項です。これらが高次元でバランスの取れていることが大切です。スポーツはできるが勉強はできないとか、勉強はできるが仕事はできないなど、そんな状態では社会から求められません。バランスが取れていても、そのレベルが低くてはどうしようもありません。

     

    スポーツは紛れも無く学習です。本当に正しい身体の使い方を学習して、その通りに行うだけですべての矢は視認しているサイトピンの先に正確に的中します。そうならないのは学習方法が完全に間違っているからです。間違った取り組みを必死になって続けているので正しい身体の使い方ができずに、永遠の三流から脱することができなくなってしまうのです。

     

    本気でやるとか底力を見せるとか言う人ほど、地道なことや簡単なことが続きません。スポーツのみならず自分を何かで開花させるためには、長年にわたって蓄えた肥沃な土壌がなくてはなりません。その土壌を作らずして結実させることはできません。

     

    アーチェリーは他のどのスポーツに比べても運動強度が低く、誰でも簡単に上手くなることができるスポーツです。必死になって練習しているのに上手くならないという人が多いですが、それは上手くならない方法を続けてしまっているので、どれだけ練習しても上手くならないのです。練習だと思って取り組んでいることが正しい練習ではないからです。それが他のことに例えるとどういう事なのかを考えてみましょう。

     

    ■勉強ができるということ

     

    「できる」「できない」という言葉の使い方がされますが、どんな事ができるでしょうか。私がスポーツ指導に携わる若者には、常にあらゆる学習をするように伝えています。中学生や高校生に対してはスポーツ最優先ではなく学習が最優先だと言い続けています。学習とは、学校での学び、家庭での学び、興味や探究心からの学び、政治・社会・文化・科学、躾・所作・マナーなどありとあらゆる学びについてです。

     

    学校が何をする場所か説明するのもバカらしいですが、何ができるようになるために学校に通っているのでしょうか。学校で最もやらなければならないのは学習です。学校でのほとんどの時間を授業で費やすために通います。部活動もありますが、所詮は課外活動でしかありません。勉学の能力に大いなる余裕があってこそ、課外活動に取り組むことができるというものでなければなりません。

     

    それでは勉強が「できる」とは、一体どのような状態を指すのでしょうか。学んだことをどれだけ正しく理解できているかはテストの点数が示す数字で誰でも簡単に知ることができます。勉強している人は多いですが、勉強ができている人はほとんどいません。テストで100点を取れる人が少ないのを見ても、与えられた学習段階における習熟度合が未達成な人がほとんどなのです。できるようになるために、どんな事をやったのでしょうか。

     

    テストで満点を取るのは実に簡単なことです。教科書を丸暗記するだけです。教科書の参考書を買って読めば参考書も覚えてしまいます。こんなに単純で簡単で誰でもできる事なのに、愚直に取り組むこともしないで「そんなことできない」と言い放つ人がほとんどです。やってみたけどできなかったのではありません。できないのではなくて、やらなかったのです。偏差値を上げるのは簡単です。多くても5教科しか本気で勉強しなくていいのです。3教科に絞れるのであれば3教科に特化できるので、そこで生まれる余裕をスポーツに注ぐことができるのです。

     

    学校の授業がどれだけ有り難いものかを理解していないから学力が上がらないのです。ボケーっと座ってるだけで先生が黒板に書いて説明してくれています。ご丁寧にも「ココが大事」など教えてくれます。どこからどこまでがテスト範囲であるかを知らない、などあり得ないのです。教えてもらえていることなのにそれができない人、ではいけません。社会に出たら最初の頃は上司や先輩がイロイロ教えてくれますが、その人たちは指導のプロフェッショナルではありません。一度言われたことができなかったら「デキない奴」という烙印を押され、レベルの高い仕事や社運を左右する大切な案件を任されなくなってしまうのです。

     

    なので勉強はできなくてもスポーツだけ必死に取り組むという人には、スポーツなんてやめてしまえと伝えています。競技成績重視のスポーツバカに育ててしまうと、どこからも何からも求められない人になってしまうからです。スポーツバカが求められるとすれば、苦役に耐えるイエスマンを必要とするブラック企業です。近年のアスリートに対する採用傾向はとても慎重になっています。今どきスポーツバカを採りたがる企業なんてほとんどありません。あらゆる方向性において正に「優秀」な人材が求められています。

     

    ■仕事ができるということ

     

    どのような生き方を送るのかは、人それぞれに自由です。他人が決めるわけでも誰かに決められてしまうものでもありません。しかし人として生きていくためには衣食住が必要になります。それを続けるためにはお金がかかります。働くことができない身体になってしまって生活保護を受けるのであれば話は別ですが、何もしなければどこからも誰からもお金を貰えることはありませんので、労働力の対価を得るために何らかの仕事をしなければならない人が大多数です。

     

    それでは仕事が「できる」ということは、どういう状態を指すのでしょうか。仕事こそ「やっている」という人こそ多いものの、本当に「できている」人はほんの一握りしかいません。仕事に使った時間の結果生み出した利益の中から給料が配分されます。ビジネスマンに限ると、同じだけ仕事をしているのに大きな成果を得続けることができる人と、平凡な人、平凡以下の人、それぞれに給料は支払われます。

     

    仕事ができる人は自分に与えられた仕事に対して余りある成果を生み出し、できない人の分までカバーして、周囲を助けて全体を成長させ続ける存在です。なので自分が仕事ができているかどうかは、全体の中で自分の売上が占めるパーセンテージと、自分に支払われている給料の額で知ることができます。俺は私はこんなに頑張ってるのに・・・と言う人は、その努力が結果を生まない正しくない取り組みに懸命になっているからに他なりません。

     

    自分への評価が低いと嘆く人も多いですが、それが正当な評価であり、その評価が間違っていることは滅多にありません。ビジネスマンであれば自分の売上金額が教えてくれます。もしも評価が間違っていたとしたら他の会社からスカウトされたり、転職してもすぐに大抜擢されたり、フリーランスで稼いで悠々と暮らすようになるのが普通です。どんな業種であっても本当に優れた人は抜きん出てますので、その業界の中で何らかの話題のある人になります。たとえ業種を変えたとしても存在感が高く、成功する人が多いです。自分の仕事がトップレベルにならないのは、仕事の結果が的外れの状態のままを繰り返し続けているからなのです。

     

    大きな成果を上げることができる人は、人知れず勉強して、自分の時間を大切にして、できるだけ多くの人と出会い、様々な挑戦を続けます。急に何か特別なことをするというのではなくて、智を得ることが習慣化されてますので即行動できる条件を常に揃えているのです。実行することが多いと多くの失敗を重ねることになりますが、次第に成功する確率が高くなり、成果が大きくなっていきます。自分の営業成績が思うように上がらない人や、与えられたノルマを達成できないという人は、失敗を恐れて挑戦をしないので、失敗しないかわりに成功もしないという状態を続けます。挑戦するためには学びとらなければなりませんが、挑戦しないので学ぶことがなく、抜きん出た存在になることなどできないのです。

     

    仕事のできる人ほど、多くの本を読んでいる人が多いです。1年で100冊以上を読むのは普通だという人も多いです。3日で1冊程度のペースなので、1年で100冊というのは私からすると読書量が普通の人だと思いますので、100冊は最低限と言うことなのでしょう。小学4年が終わるまでに学校の図書館と校外文庫の本をすべて読破しましたので、自分の興味に関係ない分野までをも学習することがどれだけ自分の価値を高めてくれたか、ビジネスマン時代に圧倒的な差としてスタートラインの位置が異なっていることは明らかでした。

     

    できない人が急にできるようになる魔法はありません。本当に仕事ができる人になるためには、若い頃から様々な学習を習慣として継続させることが大切です。勉強はできたけど仕事はできないという人の多くは、大人になった途端に学習をやめてしまう人たちです。世界中で起きている全てのことを森羅万象知ることなどできませんが、学習をやめてしまった人は学習を続けている人に敵いません。世の中の不条理に巻かれてしまわないためにも、常に頭脳を鍛えておくことが大切です。

     

    ■アーチェリーができるということ

     

    スポーツは健康な身体を養います。スポーツを楽しむことで充実した休日を過ごすことができますので、気分をリフレッシュさせた状態で月曜からの仕事にとりかかることができます。しかしそれは、スポーツの本当の楽しさを味わうことができてこそ、の話です。

     

    アーチェリーが「できる」という状態は、いったいどういう状態を指すのでしょうか。できていれば、ほとんどが狙い通りに当たっているハズなのです。30mであれば黄色から出る矢があるうちは、できているとは言えません。アーチェリーができていますか?

     

    できないことをできるようにするのがスポーツの練習です。それができるようになるためには様々な条件が必要になり、身体でできておかなければならない必要な基礎を身に付けておかなければなりません。アーチェリーほど簡単なスポーツは他にありません。できるのレベルが低くてはどうしようもありませんが、スポーツ医療チームに言われたことさえ正しく取り組めば上手くなるために難しいことなど何もありません。

     

    アーチェリーが大して上手くならない人が多いですが、正しい身体の使い方を習っていない、解剖学に精通しておらず骨格と筋肉のメカニズムを熟知してない指導者から学んでいるなど、スポーツ指導の最先端を導入していないために、どれだけ懸命に練習を続けても上達しません。

     

    当たらないのは気合や根性が足りないのではありません。いきなり射たされて、非合理な取り組みを続けてしまっているからです。自分が思うように上達しない理由がわからないまま的に向かっても、自分が放つすべての矢が黄色を射抜くことなどありません。

     

    練習だと思って続けている実射がアーチェリーの練習になっていないのです。的に向かって矢を撒き散らすことを続けることは、小さなグルーピングを成し得るための練習などではないのです。身体の状態が理想的でないまま不確実なことを延々と続けているに過ぎません。

     

    今年はまだ比較的暖かいですが、オフシーズンに突入しています。オフシーズンの取り組みがすべてを決めてしまいます。毎年毎年同じことをダラダラ続けていては、現状維持が関の山。スポーツ科学がどんどん進化しているのに現状維持というのでは、退化も同じなのです。常に刷新され続けるスポーツ科学を学ぶことのない指導者には見切りをつけて、自分の身体を進化させることが大切です。

     

    勉強・仕事・スポーツ、これらはすべて共通しているのです。できない人ほど「やっている」と言います。しかし本当に求められるのは「できているか」ということなのです。どれだけ練習しても大して上手くならないアーチェリーなんて、どれだけ長時間勉強しても赤点しか取れない勉強と同じなのです。本当に面白いアーチェリーの世界を知らないまま終わらせてしまうのは勿体無さすぎるのです。

     

    アーチェリーなんて実に簡単なスポーツです。ケガや故障とは無縁でいながら優れた的中を得るために、正しい身体の使い方を学んで、本当に当たるアーチェリーを自分のものにしてしまいましょう。